ビーツを食べました
3月いっぱい楽しませてくれたムスカリも見頃を過ぎたので、窓から見える特等席にはラナンキュラスのラックス・アウラを置きました。
アウラは水切れ頻発させすぎて傷んでしまったのか、茎の中間部分が腐って折れる症状が出てしまいまいました。水やりを気をつけるようにしたら治まった気がします。
去年の10月に種をまいたビーツを抜いてみました。実の部分、ちいさ〜!そして茎まできれいなピンク色!
実を大きく太らせるには土壌をしっかり中和させる必要があるそうなのですが、今回とくに石灰をまいたりとかはしていませんでした。2月に種をまいた第2弾のビーツには、苦土石灰を水に溶いてまいてみようかな?
収穫したミニミニビーツで、ロシア風ビーツとじゃがいものサラダ、ヴィニグレードをつくりました。
ゆでたビーツ、じゃがいも、にんじんを角切りにして、きざんだ生たまねぎとピクルス、いんげん豆の水煮と和えてできあがり。味付けはオリーブオイルと塩だけ。やさしいお味です。
本来は鮮やかなピンクのサラダになるのですが、今回はほんのりピンクですね。
話は変わりますが。
古いメールの整理をしていたり、懐かしい曲を聞いたりすると、ふとその頃の記憶がよみがえることがありますよね。
20代の頃ってまだ重ねた年月がそんなに多くないからか、わりとひとつひとつの記憶が鮮明だったような気がするのですが、30代になったいま、思い出される記憶がなんだかぼやっとした遠い夢のような感覚がしはじめて戸惑いを感じています。単純に年月がたってしまったからなのか、それとも似たような記憶どうしが融合していってしまっているのか。
時間がすぎるにつれていろいろなことを忘れていってしまうのはさびしいけれど、忘れることでまた癒やされたり悩みすらもまあいっかと思えたりするので、良いも悪いもないのでしょうね。
自分の記憶すらも不確実に移り変わっていく中で、自分のこれまでの人生にどんな物語を見つけ出して、これからどう生きるかの指針にしていくことはたいへんにおぼつかないことだけれども、まだ何十年と生きる(予定)の中では繰り返し自分に問うていかねばならない作業なのだろうな〜。
春の陽気のせいか、そんななんだかわかったようなわからないようなことをぼんやりと考えてしまう日々です。